「生長の家」は沈没しかかっている


 生長の家創始者谷口雅春先生は、昭和60年5月28日付けで最期のご署名のある、《谷口雅春著作集 第4巻》 『實相と現象』 の 「はしがき」 に、次のように書かれている。(谷口雅春先生は同年6月17日御昇天)


≪ 『神 真理を告げ給う』 の冒頭には、次の如くに述べられている。

 「“わたし” は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いて来た。

 君たちのうちには熱心に真理を求めて色々の書物を読み、色々の学者の説を読み、それに基いて思索をし、既に人生の意義を知ることが出来た人もある。しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は、自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、悟ったつもりで實際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではないのだという絶望感で、“聖なる求め” を放棄している人もある。

 そのような人たちに “私” は、今ふたたび真理を知らせてあげたい愛念によって、今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」

 更に次の節には、

 「……それらの宗教教祖や碩学
(せきがく)や大哲の中に “わたし” は宿って、人々を導くために “わたし” は書いたり、説いたりして来たのである。真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、人間の脳細胞から生産されて来るものでもなく、實にそれらの人々に宿っている “わたし” がそれを説いているのである……。」

 「しかし “本当の教祖” というべき “真理の啓示者” は “實相世界” にある “神” のみなのである。イエス・キリストも 『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』 といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。實相世界に生長の家の本部はある” といっているのである。」

 この “わたし” は勿論、言うまでもなく神である。

 このような文章――神の言に接する毎に、私は畏れ平伏
(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些(いささ)かの悔いることなくお応えし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。

 本著作集も第四巻となり、いよいよ佳境に入った感がある。…(略)…もとより谷口の脳髄知、谷口の力量で構えて説いたものではない。いずれもその折々に最も相応しい神々の指導助言の賜である。万般の奇瑞が続出するのも、故なしとしない。

 諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め” を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
    昭和六十年五月二十八日
          著者
           谷口雅春
              識す≫

          ○

 『新版 真理』 第1巻 第3章の冒頭には、次のように書かれてありました。


≪ 第三章 心の舵・心の鑿(のみ)

     慣れる尊さ 恐ろしさ

 或る船長の話です。

 その船長は航海に慣れてしまいました。

 慣れると云うことは尊いことであると同時に、恐ろしいことなのです。ものは慣れなければ充分出来ません。慣れると云うことが尊いのはそのためです。しかしあまりに慣れてしまうと、人は、その行っていることが何でもなくなり、何の有難さも感じなくなることがあるので恐ろしいのです。

 その船長も航海と云うものが何でもなくなってしまったのです。船は水の上を進むのが当り前であって、放っておいても、波を乗り越え、港へ着くものだと思えて来たのです。

 その船が進むためには、火夫
(かまをたく人)も要れば、運転士も要る、舵手も要れば、甲板洗いの下級船員も要ると云うことを忘れてしまったのです。その船のために、その船長のために一緒に働いてくれている多くのものの、すべての力があるので船が進み得るのだと云うことに感謝する心と云うものがなくなってしまったのです。

 吾々にでも此の船長のようなことがよくあるものです。吾々はこの世界に空気があるのを当り前だと思っています。有難いなどと思ったことの無い人が多いのです。有難いと思わないどころか、空気のあることに気のつかない人さえ多いのです。それは空気があることに慣れてしまったからです。慣れてしまうと云うことは尊いことであると同時に恐ろしいことだと云うのはこのことです。

 此の船長が或る日、甲板へ出て見ますと、それは可成り波の高い日でありましたが、一人の男が一所懸命、汗みどろになって、車輪のような丸い把手を右へ廻し、左へ廻ししているのです。

 「あれは誰じゃ、何を一体しているのじゃ。」

 と船長は側にいる一人の水夫に尋ねました。

 「あれは舵手です。船の舵をとっているのです。」

 とその水夫は答えました。

 船長は不思議そうな顔をしました。

 「あの男は一日中あんなところへ坐って、舵をとっているのか。」

 と又たずねました。

 「そうです、船長。」

 と水夫は答えました。

 「そうか、そんなことは要らぬことじゃ。船は進むのが当り前じゃ。そんなに一日中舵なんかとっている必要はない。」

 こう云って、船長は舵手の働きを止めさせてしまいました。

 しばらくそれでも船は惰力で進みました。船長は舵手を始めとして多勢の船員たちと娯楽室で遊びにふけっていました。

 すると時ならぬ烈しい響きと共に地震のような震動が起ったかと思うと、その娯楽室の床が、壁が、甚だしく傾きました。其れは船が暗礁に乗り上げて、船底に大きな孔があいた響きだったのです。

 たちまち船に水が入って来て、その船は沈んでしまいました。

 可哀相に! 沈んだのはその船の船長ばかりではない、舵手も、その他の船員たちも、すべて沈んで海底の藻屑となってしまったのです。

     船でも会社でも舵を取って呉れる人に感謝せよ

 何故、この船は暗礁に乗り上げたのでしょうか。それは、船長が 「船は航海するのが当り前だ」 と思って、舵手がいてくれる有難さを感じなくなったからです。……≫

          ○

 ――私は、思います。

 このまま行けば、「生長の家」 という現象界の船は

≪ ……しばらくそれでも船は惰力で進みました。船長は舵手を始めとして多勢の船員たちと娯楽室で遊びにふけっていました。

 すると時ならぬ烈しい響きと共に地震のような震動が起ったかと思うと、その娯楽室の床が、壁が、甚だしく傾きました。其れは船が暗礁に乗り上げて、船底に大きな孔があいた響きだったのです。たちまち船に水が入って来て、その船は沈んでしまいました。

 可哀相に! 沈んだのはその船の船長ばかりではない、舵手も、その他の船員たちも、すべて沈んで海底の藻屑となってしまったのです。≫

 ――となるにちがいない。いや、すでに沈没しかかっているのではないか、と。  (2018.5.6)

生長の家信徒は、各員皆船長である


 このまま行けば、「生長の家」 という現象界の船は、

≪ ……時ならぬ烈しい響きと共に地震のような震動が起ったかと思うと、その娯楽室の床が、壁が、甚だしく傾きました。其れは船が暗礁に乗り上げて、船底に大きな孔があいた響きだったのです。たちまち船に水が入って来て、その船は沈んでしまいました。

 可哀相に! 沈んだのはその船の船長ばかりではない、舵手も、その他の船員たちも、すべて沈んで海底の藻屑となってしまったのです。≫


    (『新版 真理』 第1巻 p.30)


 ――となってしまうにちがいない。


 ――というその船の 「船長」 とは、生長の家総裁という他人のことではない。

 縁あってこの教えに触れた生長の家信徒には、各員に皆、その船長なるものが宿っているのである。

 人間は皆、「運命」 という船の船長なのである。

 それが、「天上天下唯我独尊」 ということであり、「人間はみな神の独り子だ」 ということである。


 私が船長であり、あなたが船長であるのである。


 時あたかも 「生長の家」 という船が、現象界においては、大きく二つに割れて、沈没しかかっていると見えているのである。

 それは誰の責任でもない、私の責任であり、あなたの責任であるのである。


 しかし、「現象はない」 のである。悪はないのである。不完全はないのである。


 「 “本当の教祖” というべき “真理の啓示者” は “実相世界” にある “神” のみなのである。イエス・キリストも 『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』 といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。実相世界に生長の家の本部はある” といっているのである。」

 と 『神 真理を告げ給う』 (p.13) に書かれている実相の生長の家に、分裂はないのである。悪は無いのである。敵はないのである。

  
「神はすべてにして、
   すべて一体
(ひとつ)なれば、
   よろずもの皆共通
(ひとつ)
   ちから是を生かせり。

   天地
(あめつち)の創造主(つくりぬし)は、
   唯一つの神にませば、
   天地はただ一つに、
   いと妙に調和満つる。

   吾れ坐す妙々実相世界
   吾身は金剛実相神の子
   よろず円満大調和
   光明遍照実相世界。」


 と 「実相を観ずる歌」 にある通りなのである。

 その実相、本当のすがたを、現実世界に顕わすのが、神の子人間の使命なのである。


 分裂して沈没しかかった船、そしてその乗員すべてを、救うことができるのは、何者であるか?

 それは、生長の家総裁――谷口雅春の孫であるということだけで、

 
「自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、悟ったつもりで実際は悟っていない」
   (『神 真理を告げ給う』 p.11)

 にも拘わらず生長の家総裁という地位につき、創始者谷口雅春が神の啓示を受けて説いた万教帰一・日本の実相の真理をくらませ、多くの幹部・信徒を路頭に迷わせて今日の昏迷を招いた、愚かな谷口雅宣には不可能なことである。

 かと言って、中島省治、前原幸博とか安東巌などという、怨念と闘争心をもってこの世の浄化ができると空想妄想している、愚かな集団が 「生長の家本流」 と僭称しあがいているのも、妄動の極みである。

 いわんや、岡正章という何の実力も実績も無く、ただ馬齢を重ね、犬の遠吠えのように偉そうなことをネット上に書いているだけの愚かな狂人に、何ができるというのか。


 ――人間には、不可能なことである。

 分裂して沈没しかかった船、そしてその乗員すべてを、救うことができるのは、人間ではない。それが出来るのは、ただ神のみである。


 諦めましょう。ギブアップ、GIVE UP しましょう。無駄な抵抗はやめて、神に、無条件降伏しましょう。 そして、笑いましょう! 喜びましょう!  (2018.5.14)

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生と死について
<2011. 06. 15>

 筑波大学名誉教授で遺伝子工学の第一人者、村上和雄先生は、最近『人を幸せにする 魂と遺伝子の法則』(致知出版社)という著書を出されています。さっと読ませていただきました。

 村上先生は昨年11月に軽い脳梗塞で10日間入院された。入院とその後の自宅静養から、多くのことを学んだ、と「まえがき」に書かれています。この御本で心に残った、魂にひびいた言葉を記しましょう。(要約)

     *

 ○ DNAは生命の設計図と呼ばれているが、正確には身体の単なる設計図。細胞を作るのに必要な材料を集め、必要なエネルギーを使い、設計図通り組み立てている細胞の建設業者は誰なのか。それが「サムシング・グレート」(神)だ。

 ○身体は、地球からのレンタル。私たちは「神のからだ」を借りて生きている。一定期間は地球上で使うことができるが、やがて死によって借り物である身体を大自然に返すのである。身体の貸し主は、大自然、「サムシング・グレート」(神)。

 ○では、借り主は誰か。借り主は「魂」である。

 ○遺伝子に魂はない。

 ○死は、次の新しい生きものを生むための準備。

 ○遺伝子の観点から見れば、誕生と死はペアでプログラムされている。死をプログラムされていない生き物は、進化レベルで大変不利だ。

 ○死は再生への出発点。もし、死が人生の敗北であるなら、すべての人生は敗北で終わってしまうことになる。しかし、科学の世界から見ても、死は再生(生まれ変わり)への出発点なのである。

 ○真の健康は、単に病気がないだけでは成り立たない。誕生と死を貫く、生きとおしの「魂」の健康にも、目を向ける必要がある。
「魂」は個人レベルを超えて、多くの人と無意識のレベルではつながっている。さらに「魂」は人間レベルを超えて、大いなる存在につながっている。だから、魂の健康には、人間を超えた「大いなる存在」ときちんとつながっている状態が大切である。

     ○

 『致知』7月号には、「生命(いのち)のメッセージ」という連載対談で、村上和雄先生が天外伺朗(てんげ・しろう)天外塾塾長と対談された記事が、載っています。その中で、天外さんが言っておられる言葉──

     *

良寛に有名な言葉がありますね。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
 実はこの言葉、大地震のお見舞いの手紙の中の一節なんですね。
 僕はこれ、ものすごく深いと思います。人間の運命というものは、そんなに簡単によし悪しのレッテルをつけられるものではありません。悪いと思った中に素晴らしい運命の種があるし、いいと思った中に悪い種がある。
 災難や逆境がなぜ苦しみになってしまうかというと、その摂理に目を向けられず、じたばたとそこから逃れようとするからです。
 だから、まさに今回もこの良寛の言葉に当てはまることで、起きてしまったことを嘆いてもしょうがない。この大災害を日本人全員かしっかりと受け止める。そこから次に繋がるよい種を見つけ出し、新しい出発をすると。

     *

 ──現象は影にすぎず、本来無し。肉体は仮(借り)のもの、本来無し。「今」に感謝し、「今」精いっぱい、愛を行じてまいりましょう。
 谷口雅春先生作詞「使命行進曲」を高らかに歌いながら。

 それが、村上和雄先生の言われる「魂の健康」への道なのだと信じます。

     *

 使命行進曲

1.人間何の目的ぞ
    人生何の意義ありや
    その目的を知らずして
    人と生れて甲斐ありや
    人と生れて甲斐ありや

2.人は生命(いのち)を神に享(う)け
    神の最高実現と
    此世(このよ)にうまれ使命享く
    使命果さず甲斐ありや
    使命果さず甲斐ありや

3.愛行(あいぎょう)こそはわが使命
    神は愛なりただ与う
    神のみ跡をまなびつつ
    われ愛行にいそしまん
    われ愛行にいそしまん

4.使命に生くる者のみが
    知るよろこびを我れ生きて
    生命(いのち)きたえていざ起(た)たん
    たましい浄めいざ行かん
    たましい浄めいざ行かん

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「ふるさと」に帰る(2)
<2011. 06. 14>

「われに来よと 主は今
 やさしく 呼びたもう
 などて愛のひかりを
 避けてさまよう
  『かえれや わが家に
 帰れや』と 主は今呼びたもう」
 (讃美歌517番より)

     *

 さて、昨日のブログでご紹介した鈴木秀子氏の記事のつづきです。

 残念なことに、Kさんの二人の子供たちは命を失っていました。しかし──「子供たちは自分の使命を終えて魂の故郷(ふるさと)に帰っていったのだと思います。子供たちは、人間というものは永遠の世界に向かって旅を続けている存在であることを命に替えて私たちに教えてくれたのです」──と、Kさんは「故郷」の歌で子供たちを天国に送り、亡くなった子供たちの分まで命を輝かせて生きることを奥さんと誓いながら明るく生きておられる。

「『故郷(ふるさと)』は、不思議な歌です。人種や年齢を超えて人々の魂に届くものがあり、ともに一緒に口ずさむと、いつしか皆の魂が一つに融け合っていくのです」と、ダークダックスのメンバーの一人が言っている。

 そのメロディーのルーツをたどると、イギリス人などによって歌い継がれた讃美歌の一つで、その原詩は次のような内容だといわれます──

「私たちは一人ひとりが神様から愛されている神の子であり、一人ひとりが大切な存在なのだ。この神様の愛に私たちは何をもって応えようか。この命を与えられている私という存在を、こんなに愛してくださる神様の愛に応えることこそ、生きていくということなのだ。……」と。

「私たちは誰でも、いつかはこの世の生を終えて永遠の故郷(ふるさと)へと帰っていく目が訪れます。しかし、そこにはお金も地位も名誉も肩書も持っていくことはできません。ただ、一つ、永遠に繋がる魂だけを持って旅立っていかなくてはならないのです。

 魂を生かすものは何でしょうか。それは愛です。
『こころざしをはたして』いつか誰もが帰っていく魂の故郷。いつか訪れるその日のためにも、私たちにはいまいる現実の世界で愛を育み、愛を生き抜くことか求められているのではないでしょうか。」

 と、鈴木秀子さんは『致知』2011年7月号に書いておられました。

     ○

「故郷(ふるさと)」の歌は大正3年『尋常小学唱歌(6)』の教科書に載せられた「文部省唱歌」の一つです。文部省が東京音楽学校(東京芸大音楽学部の前身。初代校長は紀元節の歌の作曲者である伊澤修二)に編纂を依頼し、編纂委員会で合議により作詞・作曲されたもので、著作権は文部省が所有し、個々の作詞作曲者は伏されていました。編纂委員会の委員にはキリスト教徒が多かったので、文部省編纂の小学唱歌は讃美歌の影響を受けた曲が多いと言われます。編纂委員の1人で現在「ふるさと」の作曲者とされている岡野貞一氏も、明治25年に14歳のとき鳥取教会で洗礼を受けたクリスチャンでした。調べてみると、岡野氏は尋常小学唱歌を数多く作曲したという伝聞があるので「ふるさと」も岡野氏の作曲とされていますが、岡野氏自身は「ふるさと」が自分の作曲であると言ったことはなく、自筆原稿が見つかったこともないので、岡野氏個人の作曲とする根拠は弱いそうです。このメロディーのルーツがイギリス人などによって歌い継がれた讃美歌の一つであったという説は初めて知りましたが、あり得ることだと思いました。

『日本の唱歌』(講談社文庫)の前書きで、金田一春彦氏は「日本の唱歌は讃美歌がお手本になっている」と書いています。

 日本の「唱歌」の始まりは、明治5年頃、外人居住区にあって後にフェリス女学院や神戸女学院となった私塾で、生徒や信者が歌った讃美歌でした。日本に小学唱歌が制定されたのは明治14年の「小学唱歌集」の出版でしたが、この所収91曲の内12曲は讃美歌でした。

 もともと唱歌は外国では讃美歌であり、日本に導入された多くの曲ははスコットランド民謡とともに讃美歌でした。明治の日本に讃美歌を導入するということは許されることではなく、クリスチャンであった岡野貞一らの「讃美歌隠し」の苦労は計り知れないものがあったであろう。「たんたんたぬきの金時計・・・」などという替え歌になったメロディーも原曲は「Shall we gather at the river」(まもなくかなたの ながれのそばで/たのしくあいましょう またともだちと/神さまのそばの きれいなきれいなかわで/みんなであつまる日の ああなつかしや)という讃美歌、「むすんでひらいて」(原曲はフランスのルソー作曲)等もれっきとした隠し讃美歌であった。クリスチャンの岡野は讃美歌を書きたくても書けず、小学唱歌という讃美歌を書いたのであった、と言われています。

 東京音楽学校には岡野のように鳥取県出身の俊才が多く集まった。田村虎蔵(「うらしまたろう」「はなさかじじい」などの作曲者)、永井幸次(大阪音楽大学の創始者)、4年遅れて岡野貞一等・・・岡野の音楽学校の仲間は永井幸次、滝廉太郎等、皆クリスチャンであった。山田耕筰、恒子もそうである。岡野が作曲した唱歌は「ふるさと」「朧月夜」「児島高徳」「水師営の会見」「春の小川」「春が来た」「もみじ」「桃太郎」などで、これらは日本人の魂に鳴りひびく懐かしのメロディーであります。

     ○

 なぜ、このような「隠し讃美歌」のメロディーが日本人の魂に共鳴したのでしょうか。

 それは、日本人の魂には、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」が鳴りひびいていらっしゃる。「御中(みなか)」とは、時間・空間がそこから発した、万物発生の枢機を握る一点、「未発之中(みはつのちゆう)」「久遠(くおん)の今」であり、キリストの説いた「父の国」「神の国」そのものであるからだと、私は思うのです。この「万教帰一」の大真理をお説きくださった谷口雅春大聖師に、あらためて感謝を捧げる次第です。

 「この『久遠の今』というのは時間、空間を超越した、万物発生の枢機を握る一点なのであるから、尊師が『久遠の今』をお悟りになったということは尊師が『久遠の今』そのものであるということである。この一切万物発生の枢機を握る一点に立たれた時、キリストも釈迦も古事記も一つの同じ真理を説いていることが解って来たのであった。万物は『久遠の今』という中心から発したのであるから当然、真の宗教である限りに於いてすべて宗教は一つに帰るという真の相(すがた)を発見されたのであった。ここに万教帰一(ばんきようきいつ)の教えが生れる根拠がある。」
 と、榎本恵吾(えのもとけいご)元生長の家本部講師(平成17年没)は、『光のある内に』という本に書いていました。

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「ふるさと」に帰る(1)
<2011. 06. 13>

 前述の清川妙先生は、『致知』という雑誌の7月号でも取材され「生涯現役」というタイトルのところに掲載されています。5月18日の講演会で先生はそのこともお話しされたので、私は『致知』の購読も始めました。とても実のある雑誌です。

 その中で、鈴木秀子さんという「国際文学療法学会会長」なる方が、「人生を照らす言葉」(連載第32回)として「ふるさと」の歌にまつわる感動的な話を書いておられます。

 1995年の阪神淡路大震災の時のこと。1月17日午前5時46分52秒、まだ就寝中の人が多かった。死者の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになっての即死だった。特に1階で就寝中に圧死した人が多かったと言われます。その時の話(要約)──

     ○

「地鳴りの中で静かに響いてきた歌声」

地震発生時、Kさんもまだ布団の中にいた。突然の激震。あっと思う間もなく家は大きく崩れ、同じ部屋に寝ていた奥さんとの間にドーンと何かが崩れ落ちてきて夫婦は身動きが取れなくなった。

 Kさんは大きな声で隣にいる奥さんに声を掛けたが、返事はなかった。別の部屋で寝ていた幼い二人の子供たちの名前も呼んだが、やはり何の反応もなかった。

 Kさんは声を枯らして叫び続けたが、やがて力尽きて声を出そうという気力すら失せていった。

 どのくらい時間がたったか、諦めかけたKさんの耳に入ってきたのは、余震の地鳴りの音にかき消されてはっきりは聞き取れないものの、それは奥さんの声で、「故郷(ふるさと)」の歌であることが分かってきた。

  兎追いしかの山/小ぶな釣りしかの川/夢は今もめぐりて/忘れがたき故郷(ふるさと)

  如何にいます父母/恙(つつが)なしや友がき/雨に風につけても/思いいずる故郷

  こころざしをはたして/いつの日にか帰らん/山はあおき故郷/水は清き故郷

 歌声は何度も繰り返され、「如何にいます父母」という言葉に差し掛かった時、Kさんは亡くなったそれぞれの両親が突然目の前に現れたかのように感じた。
「ああ、両親が助けに来てくれたんだ。瓦礫から守ってくれただけでなく、いつも見守ってくれていて、この世を生きていく上での重石やしがらみを取り去ってくれているんだ」そう思うと、涙がポロポロと流れた。

 奥さんの歌はやがて三番の歌詞に移り、「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」で、Kさんは、自分が人生の旅路を終えてどこに帰るのかと考えた時、「それは父母のいるところだ。“こころざし”というのは立身出世のことではない。この世にいて自分の生を輝かせることだ、愛を持って生きることだ」と思った。

 Kさんは瓦礫の中にあって、確信した。人間は誰しも大宇宙に生かされた存在であり、自分も奥さんも亡くなった両親も、ともに深いところで命という絆で結ばれていること、生きているうちに身につけた地位や財産ははかなく消え去り、この世の生を全うした後は魂の故郷に帰っていくということ……。

 Kさんは奥さんの歌声に引き込まれるかのように自分も一緒に歌い始めた。最初は小声で歌っていたものの、奥さんがKさんの歌声に気づいて一緒に調子を合わせ始めたことに気づくと、力いっぱいに歌うようになった。二人の合唱は瓦礫の壁を突き破るかのように響き、間もなく二人は救助される……。
        (『致知』2011年7月号より、要約)

     ○

 私は、上記「故郷(ふるさと)」の歌にまつわる記事を読んで、また浮かんできたのは、『新版 真理』第9巻(谷口雅春著)318~319頁の一節です。

     *

   神の国への郷愁

 あなたは神の子であり、あなたの本当の故郷は“神の国”であります。あなたが本当の郷里に帰るまでは郷愁は去らないでありましょう。郷愁は色々の形であらわれます。理由のない寂しさや、憂鬱や、それから起って来る色々の問題や、経済的な行き詰りや、肉体的な病気なども、いわば、自分の郷里である「神の国」に自分が住んでいない郷愁のあらわれであります。神の国には私たちに必要なあらゆる富、あらゆる幸福が常に備わっているのであります。あなたが神の国を今ここに見出されますならば、あなたは一呼吸、一挙手、一投足にも神の力と生命がそこに、あなたに於いて呼吸し、行動していることがわかるのです。あなたの思いが、計画が、神御自身の思いであり、計画であることになるのです。神御自身の思いや計画が成就しないということはないのです。

     *

 この「神の国」が、私たちの魂のふるさと。それは、時空を超えた「久遠の今」。死んでから帰るところではなく、生死を超えて、今もつねに私たちはこの「神の国」なるふるさとにいて、神に守られ、神のいのちのさきはえ(先延え)を受けているのでした。

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生きていることはすばらしい(2)
<2011. 06. 12>

 私は6月が誕生月で、まもなく78歳。運転免許証の更新時期にもなり、昨日その更新手続きを終えて新しい免許証をもらってきました。

 現在、75歳を過ぎた「後期高齢者」が免許の更新を受けるには、まず予備検査(認知機能検査)を受け、それから「高齢者講習」などを受けなければなりません。そのとき「チャレンジ講習」という実地運転の試験を受けて合格すれば、講習時間が短縮されるというので、私はそれに挑戦しました。

 まず、予備検査(認知機能検査)は記憶力・判断力のテスト、つまりボケの検査で、私は全くその心配がないという最高最良の点数でパス。実地運転のチャレンジ講習も1度で無事通過しました。そうして昨日いただいた免許証の写真を見て、思いました。前の免許証の写真(3年前撮影)よりも、今回の写真の方が、しっかりした若い感じに見えるのです。

 「私は、年とる毎に年齢(とし)を減らして若返る」と言い続けてきました。その言葉通りに、「心が体で、体が心なんじゃ。自分でこうしよう、と思えば、体も自然についてくる」(前のブログ記事参照)となってきたように思います。

 6月4日には生長の家本部練成道場(飛田給)で一講話担当させていただきました。そのときかつて赴任していたことのある、震災被災地福島教区の方たちが数人来ておられて、私が10年ほど前、福島教区に赴任していた時よりも若々しく元気なのに驚いたと言ってくださいました。

 それは、全く生長の家の御教えにしたがって生きてきた、生かされてきたおかげであると思います。「もはや我れ生くるにあらず、神のみいのち今ここにありて生き給うなり」と、ただ感謝あるのみです。

     ○

 前記の恩師 清川妙先生は、今90歳でも若々しくお元気で活躍していらっしゃいますが、数々の苦難をのりこえられた体験もお持ちなのです。

 17年前にご主人が旅先で急逝され、6ヵ月後には49歳の息子さんを亡くされた。その10日前にご自身も胃がんで胃の3分の2を切除されるというトリプルパンチ。

 息子さんは耳が聞こえなくて、幼少の時から(傍から見れば)大変なご苦労をされたのだけれども、清川先生は「私が作家になれたのは、この息子のおかげ」とおっしゃって、感謝されている。

 耳の聞こえない息子さんのために、少しでも良い教育環境をと、昭和28年(私たちが山口高校を卒業した翌年)故郷の山口から千葉県市川市に移転されたのでしたが、市川の聾学校(教育大附属)で「聾教育は底なしのつるべで水を汲むような、根気の要る仕事ですよ」と言われる。先生は、「底なしのつるべでも、水を汲むときにはしずくがついてくる。その水のひとしずく、ひとしずくをためていこう」と決意して、たゆまぬ努力を積み重ねられたのです。その手記を新聞に投書したのがきっかけで作家への道を歩まれることになったのでした。

 その後息子さんは、並々ならぬ努力により、早稲田大学を卒業して、都立聾学校の教師を務められ、「城の研究」でも立派な業績を残されました。その息子さんが亡くなられたとき、「あなたはいい人生を持った、幸せな人生だったよ」と言って涙を流されたそうです。

 その感動の体験を綴られた文章も掲載されている『ひとりになってからの生きがい──夫と子の死をのりこえて』というご著書があります。私はそれを読んで、幾度も涙をおさえることがことができませんでした。

 清川先生は、日本の古典の中で好きな作家は兼好法師と清少納言、と言われます。清少納言は、「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」(枕草子)と言って、小さいものを見て感心できる人、何にでも喜びを感じられる人だから、と。

 まさに、「日時計主義」──「太陽の輝く時刻のみを記録する、生長の家の生き方」をされているんですね。

 清川先生は卒寿の今年、まだまだたくさんの本を出版されるそうですが、ある人から「30年くらい前に出された本と比べてみても、いまの文章の方が若々しい」と言われたそうです。

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生きていることはすばらしい(1)
<2011. 06. 11>

 前回、4月30日に、清川妙先生(私の母校山口高校の恩師)の新著『兼好さんの遺言』を読んで私が特に感じたところを書いてみたい、と記しましたが、それが書けないまま、あっという間に1ヵ月以上──6週間経ってしまいました。

 その間、いろいろなことがありました。うれしいこともあったし、けっこう心的エネルギーを使うようなこともありました。

 5月14日は、私たち夫婦の結婚満50年、金婚の記念日でした。
 半世紀50年連れそって、4人の子供と私を生み育ててくれた妻に、あらためて感謝しました。「私を生み育ててくれた」のは妻ではなくお母さんだろう、と言われそうですが、子供たちの父親、孫たちの祖父となり、1人の時とはちがって大きく広がった今の私を生み出し、育ててくれたのは妻だった、と思われるのです。

 金婚記念日から4日目の5月18日には、前述・清川妙先生の卒寿(90歳)のお祝いを兼ねてご著書『兼好さんの遺言』出版記念の講演会が飯田橋のあるホテルで開かれ、私も参加しました。(雑誌『いきいき』主宰)

「楽しみながら、少しずつ、好きなことを、丁寧に、貫き続ける」
「思い立ったら、時を移さず、行動を起こす」

というのがお話のテーマなのでした。清川先生は

 「この前の震災で、岩手の釜石で亡くなられた104歳の現役スポーツマン、“走れて、跳べて、投げられて”という方の在りし日の姿がテレビに映され、『心が体で、体が心なんじゃ。自分でこうしよう、と思えば、体も自然についてくる』とおっしゃるのを聞いて、あら私九十、まだ若いわ、と思ったのね」(笑)。

 ──と、お元気で約1時間の講演をなさり、約150名の参会者、ファンの人たちを魅了されました。

     ○

 『兼好さんの遺言』「14 生きていることはすばらしい」の章より。
 兼好法師は『徒然草』(第137段の書き出し)で、

  「花はさかりに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情けふかし。」

 と言っています。清川先生の解釈──

 「桜の花はまさに満開のときだけを、月は照りかがやく満月だけを見るものだろうか。いや、そうではないのだ。満月が見られるはずだったその夜、あいにくの雨となり、雨を見ながら、月を恋しく思うこともあるだろう。また、何かのわけあって家に閉じこもり、桜の花の咲いて、散るのも見ることがかなわず、いつか春の過ぎゆくのも知らないでいた、ということもあるだろう。しかしやはり、それはそれで、しみじみと身に沁みる情緒があるものだ──。」

 『徒然草』にはまた、

「刹那(せつな)覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、たちまちに至る」(人は、刹那というこの短い時間を意識しない。だが、これを休みなく運びつづけていけば、人間のいのちの最後もたちまちに来るのである──第108段)

 指をひと弾きする間に六十五の「刹那」があるといわれる。その目にも留まらぬ瞬間を積み重ねて、それが人の一生になるのだ。だから

 「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」(第93段)──この短い一節に「愛する、喜ぶ、楽しむ」というプラスのイメージの言葉を三つも入れている。死ぬことがいやなら、今生きている、生かされていることを大切にして、丁寧に、楽しんで生きよう。

 「今日まで逃れ来にけるは、ありがたき不思議なり。」──今日という日まで(死から)逃げのびて生きてこられたのは、世にも稀な不思議なこと。そう深く思い知ったら、しばしの間でも、この世をのんびりうかうかと過ごしていっていいものだろうか──。

 「“ありがたき”とは、あることを願っても、なかなか困難で、めったにはないことをいう言葉。非常に稀なことを喜ぶ心である。なんと濃い輪郭を持つ明るい言葉であろう。繰り返し、くちずさんでみれば、生きる喜びが、胸のうちに湧きあがってくる」

 と、清川先生は書かれています。

 「済んだことの中に生活せず、『今』のなかに生活せよ。『今』は常に生きている。『今』の中にはあらゆるものが輝いている。『今』は常に新しく、『今』は常に喜びに満ちている。過去にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。『今』天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。過去に寒風に吹き曝(さら)されたことを嘆かないで、『今』梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも強く尊く逞(たくま)しきが人間である。喜ぶべきことしか無いのが人生である。」

 というのが生長の家の「智慧の言葉」として『新編聖光録』に収められていますが、古の賢者も同じことを言っているのですね。

 清川先生は私の「母校の恩師」──といっても、高校時代に直接授業を受けたことはなかったのですが、90歳になられてもみずみずしい感性、心と体をお持ちで、なんだか母のような、姉のような、家族のような感じがしてしまいます。そして、女性のすばらしさ、男性とはちがった繊細微妙なすばらしい感性について、教えていただき、心豊かにとても勉強になりました。

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90歳の恩師が新しいご著書
<2011. 04. 30>

 今年3月に90歳の卒寿を迎えられた、私の母校山口高校時代の恩師 清川妙先生の、『兼好さんの遺言』という新しいご著書が、4月2日に小学館から出版されました。少しずつ丁寧に約1ヵ月かけて、私はそれを感銘深く読み終えました。

 清川先生は、80歳を過ぎてからも毎年1冊以上(時には2冊、3冊と)著書を出版されているばかりか、毎月数ヵ所、カルチャーセンターなどの古典講座に講師として出講しておられ、とても90歳には見えない、若々しい美しさに輝いていらっしゃいます。

 生長の家白鳩会総裁 谷口純子先生も清川先生の古典講座に参加聴講しておられると知り、私はそのような清川先生とご縁があったことをまことに“有り難き仕合わせ”(“ありがたき”とは、あることを願っても、なかなか困難で、めったにはないこと。“仕合わせ”は、“めぐり合わせ”)と喜び、感謝しております。

 その最新刊ご著書『兼好さんの遺言』の「はじめに」・「1 刹那を生きる」というところに、次のように書かれています。

   * * * * *

 遺言とは、遺書の言葉ではなく、兼好法師がその著書『徒然草(つれづれぐさ)』の中で、私たちに教えてくれた、数々の言葉、という意昧なのです。

 思い立ったことがあったら、ためらわず、その場で一歩を踏み出せ。年齢のことなど考えるな。飽きず、続けよ。貫けよ。

 せっかくの一生だ。けっして無駄にするな。心して、一瞬一瞬を大切にして、ていねいに日々を運べ。生きている、というそのことを、何よりも喜ぶのだ。

 と、彼の言葉は自信に充ち、賢く、合理的であり、現代にもみごとに通じるセンスもたたえています。

 『徒然草』をはじめて読んだ少女の日から今日まで、私の歩く道を、いつも兼好さんが一緒に歩いてくれました。そんな人生の途上、困難に遭って立ちすくみ、絶望にうちひしがれているときにも、彼の言葉はきびしく的確に、しかも親身なあたたかさをこめて、私をみちびき、生きる勇気を与えてくれました。

 兼好さん、と呼ぶのは、私の心に、彼へのかぎりない敬慕と親愛があるからです。・・・・・

 一瞬、一瞬、生きている。いのちの粒が光っている。その一瞬、一瞬を、二度と帰らぬものとして楽しむのだ。充実させるのだ。

 ひとり暮らしのいまの私の日々には、亡き夫や息子たちも、まだ、そこらにいるような気もして、言葉を交わすこともたびたびある。娘は近くに住み、私を支えてくれているし、息子の妻とも、息子が生きていたときと変わらぬ親しさで繋がれている。

 そして、もちろん兼好さんは、私の若き日からの〈心の友〉の座に、デンとすわっている。「おいおい、友じゃなくて、先生と言えよ」と、ときどき、彼はブツブツ言っているけれど。

 そんなとき、私は〈心の友〉にこう答える。

 「兼好さん、あなたは私の人生のいろいろな節目に、きびしく、的確な、そして慈愛に充ちたアドバイスをくださったわ。おかげで、私は前を向いて歩くことができた。私はあなたを人生学校のすばらしい先生だと思い、心から尊敬しています。でもね、ほんのときどきだけど、すこし古いわね、とか、やっぱり男性ねって思うときもあるのよ。そんなとき、私はあなたとディスカッションをしたいと心から思うの。そのためにはやはり、先生じゃなくて〈心の友〉の関係がいちばん楽しいと思うのよ」

 ─<以上は清川妙先生著『兼好さんの遺言』より>

   * * * * *

 15歳の女学校時代から四分の三世紀、〈見ぬ世の友〉〈心の友〉としてきたという兼好さんの『徒然草』から学んだ“元気と勇気たっぷりの生き方読本”──清川妙先生著『兼好さんの遺言』について、私が特に感じたところを、これから何回かにわたって書いてみたいと思います。

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平和の祈り
<2011. 04. 26>

 総裁谷口雅宣先生がご教示くださった「自然と人間の大調和を観ずる祈り」に、
「神の創造(つく)り給いし世界の実相は、自然と人間とが一体のものとして常に調和しているのである。・・・(中略)・・・両者のあいだに断絶はなく、両者のあいだに争いはなく、両者のあいだには区別さえもないのである」
 とあります。

 今、いろいろな花が咲き出で、木々の嫩葉(わかば)が美しく輝いています。

 「物質はない、肉体はない、自分というものは本来なかったのだ! すべてが自分だったのだ!」と自分を空っぽにしますと、わが家の“猫の額”ほどの庭に咲くカイドウや小さなスミレなどの花にも、「自分のいのちが咲いているのだ!」と、うれしく心躍ります。

 わが家の庭だけではなく、隣の家の庭の木々の嫩葉や花々もまたわがいのちの花である。そしてわが家からJR中央線西荻窪駅まで歩いて5分ほどですが、その途中両側の家々の生け垣や玄関まわりなどにいろいろな花が咲いている、それらもみな「自分のいのちが咲いているのだ!」と、うれしく、心が豊かに満たされます。

『理想世界』昭和34年3月号「3月の祈り」(谷口雅春先生)に、次のようにありました。

   * * * * *

神よ、荘厳にして美しき緑なす丘、
透きとおる蒼空(あおぞら)に漂う白き雲、
山々の樹々に囀る小鳥の歌、
清冽(せいれつ)なる渓流に泳ぐ金鱗銀鱗、
万物はあなたの影を宿して生き生きと輝いています。
あなたの輝きをもて人類の心を照らしたまえ。
すべての人類が争うことなく
唯一つの神の生命(いのち)の岐(わか)れなることを自覚し
互いに手をつないで
み心が既に“実相の世界”に成るが如く
現象の世界にも、至福平和の世界が実現いたしますように、あなたの無限の愛をわれにそそぎ給え。

   * * * * *

 昭和天皇の御製(昭和8年)に
「天地(あめつち)の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」
 と詠まれています。今、私はこの大御心をわが心として、ひたすらに日本と世界の平和を祈り上げます。

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入龍宮不可思議境界録
<2011. 04. 20>

 谷口雅春先生著『新版 叡智の断片』には、「入龍宮不可思議境界録」として次のように書かれています。(抜粋)

   * * * * *

 時間空間の中に生命が生れて来るのではなくして、生命が時間空間をつくるのである。時間空間は吾が心の中にある。時間空間は生命の掌中にあるのである。
     ○
 現象の世界は、うつりかわる世界、変遷の世界である。映画のように、光と影との交錯せる世界である。
     ○
 現象刻々流転。されど流転せざる者あり。「今・即久遠」なり。
「今」を把握すれば人の病い癒え、国の病い癒ゆ。
     ○
「今」を把握せざる者、天壌無窮を永久に知ることなし。
「今」を把握せざる者、「不死の生命」を永久に知ることなし。
     ○
「敗戦前、真の日本なし。敗戦後、真の日本なし。現象裡、真の日本なし」前後際断の「今即久遠」にのみ真の日本あり。真の日本を知らざる者は日本人に非ず。

   * * * * *

「今・即久遠」とは、時間・空間未だ発せざる元のところ、現象展開以前の理念(実相)の世界である。それは「一」であり「天地(あめつち)の初発(はじめ)」であり「中(みなか)」であって、すべてはこの「中(みなか)」の展開であります。その本源の「みなか」に帰るのが「中心帰一」であります。

「すべての善のうち最も大なるものは、中心に帰一する心をもつことである。」とお教え頂いています(『光明道中記』p.36)。

 これが生長の家の御教えの根本であると思います。その根本から、

「宗教とは『個』が『永遠』と『無窮』とにつながる意識なり。具体的『永遠』とは『皇位』なり、具体的無限とは日本国なり。具体的に神ながらに生きるとは日本国と共に生くる事なり。」(同書p.19)

 という生き方が出てまいります。

 すべては、「中(みなか)」から咲き出でた花であります。
 自分というものは、なかったのです。
 すべてが自分だったのです。
 すべての花は、わがいのちが咲き出でた花でありました。
 感動します。ああ、天地万物は神のいのちの展開であり、わがいのちの展開である!

「中(みなか)」において、すべては「一」であり、対立するものは何もないのであります。対立するものがないことを「絶対」というのであります。悪を認めない、「悪は無い」というのが「絶対善」であります。
「相対」の世界は本来ナイ。無い世界をありと認めて、敵を作って戦えば、動・反動の法則により、業は流転し続けて浄まることはないのであります。この宇宙浄化のためには、住吉大神に出御いただいて禊ぎ払いを行い、「悪は無い」「ただ善のみ」とする如意宝珠(にょいほうじゅ)──潮干珠(しおひるのたま)・潮満珠(しおみつのたま)をもってすべてを浄め、「善一元」「光一元」の天照大御神をお迎えしなければなりません。私たちは住吉大神の全心全霊なのであります。

 谷口雅春先生は、

「住吉大神宇宙を浄め給う。宇宙浄めの天の使として生まれたるが○○○○なり。神は私に使命を授け給う。今日何を為すべきかを教え給う。その教えられたる使命を実践するのが私の生き甲斐である」

 として「○○○○」のところに自分の名前を入れて毎朝祈るがよいと教えられました。私は実践します。

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«「自分はナイ。空っぽである」<2011. 04. 17>