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90歳の恩師が新しいご著書
<2011. 04. 30>

 今年3月に90歳の卒寿を迎えられた、私の母校山口高校時代の恩師 清川妙先生の、『兼好さんの遺言』という新しいご著書が、4月2日に小学館から出版されました。少しずつ丁寧に約1ヵ月かけて、私はそれを感銘深く読み終えました。

 清川先生は、80歳を過ぎてからも毎年1冊以上(時には2冊、3冊と)著書を出版されているばかりか、毎月数ヵ所、カルチャーセンターなどの古典講座に講師として出講しておられ、とても90歳には見えない、若々しい美しさに輝いていらっしゃいます。

 生長の家白鳩会総裁 谷口純子先生も清川先生の古典講座に参加聴講しておられると知り、私はそのような清川先生とご縁があったことをまことに“有り難き仕合わせ”(“ありがたき”とは、あることを願っても、なかなか困難で、めったにはないこと。“仕合わせ”は、“めぐり合わせ”)と喜び、感謝しております。

 その最新刊ご著書『兼好さんの遺言』の「はじめに」・「1 刹那を生きる」というところに、次のように書かれています。

   * * * * *

 遺言とは、遺書の言葉ではなく、兼好法師がその著書『徒然草(つれづれぐさ)』の中で、私たちに教えてくれた、数々の言葉、という意昧なのです。

 思い立ったことがあったら、ためらわず、その場で一歩を踏み出せ。年齢のことなど考えるな。飽きず、続けよ。貫けよ。

 せっかくの一生だ。けっして無駄にするな。心して、一瞬一瞬を大切にして、ていねいに日々を運べ。生きている、というそのことを、何よりも喜ぶのだ。

 と、彼の言葉は自信に充ち、賢く、合理的であり、現代にもみごとに通じるセンスもたたえています。

 『徒然草』をはじめて読んだ少女の日から今日まで、私の歩く道を、いつも兼好さんが一緒に歩いてくれました。そんな人生の途上、困難に遭って立ちすくみ、絶望にうちひしがれているときにも、彼の言葉はきびしく的確に、しかも親身なあたたかさをこめて、私をみちびき、生きる勇気を与えてくれました。

 兼好さん、と呼ぶのは、私の心に、彼へのかぎりない敬慕と親愛があるからです。・・・・・

 一瞬、一瞬、生きている。いのちの粒が光っている。その一瞬、一瞬を、二度と帰らぬものとして楽しむのだ。充実させるのだ。

 ひとり暮らしのいまの私の日々には、亡き夫や息子たちも、まだ、そこらにいるような気もして、言葉を交わすこともたびたびある。娘は近くに住み、私を支えてくれているし、息子の妻とも、息子が生きていたときと変わらぬ親しさで繋がれている。

 そして、もちろん兼好さんは、私の若き日からの〈心の友〉の座に、デンとすわっている。「おいおい、友じゃなくて、先生と言えよ」と、ときどき、彼はブツブツ言っているけれど。

 そんなとき、私は〈心の友〉にこう答える。

 「兼好さん、あなたは私の人生のいろいろな節目に、きびしく、的確な、そして慈愛に充ちたアドバイスをくださったわ。おかげで、私は前を向いて歩くことができた。私はあなたを人生学校のすばらしい先生だと思い、心から尊敬しています。でもね、ほんのときどきだけど、すこし古いわね、とか、やっぱり男性ねって思うときもあるのよ。そんなとき、私はあなたとディスカッションをしたいと心から思うの。そのためにはやはり、先生じゃなくて〈心の友〉の関係がいちばん楽しいと思うのよ」

 ─<以上は清川妙先生著『兼好さんの遺言』より>

   * * * * *

 15歳の女学校時代から四分の三世紀、〈見ぬ世の友〉〈心の友〉としてきたという兼好さんの『徒然草』から学んだ“元気と勇気たっぷりの生き方読本”──清川妙先生著『兼好さんの遺言』について、私が特に感じたところを、これから何回かにわたって書いてみたいと思います。

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