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「ふるさと」に帰る(2)
<2011. 06. 14>

「われに来よと 主は今
 やさしく 呼びたもう
 などて愛のひかりを
 避けてさまよう
  『かえれや わが家に
 帰れや』と 主は今呼びたもう」
 (讃美歌517番より)

     *

 さて、昨日のブログでご紹介した鈴木秀子氏の記事のつづきです。

 残念なことに、Kさんの二人の子供たちは命を失っていました。しかし──「子供たちは自分の使命を終えて魂の故郷(ふるさと)に帰っていったのだと思います。子供たちは、人間というものは永遠の世界に向かって旅を続けている存在であることを命に替えて私たちに教えてくれたのです」──と、Kさんは「故郷」の歌で子供たちを天国に送り、亡くなった子供たちの分まで命を輝かせて生きることを奥さんと誓いながら明るく生きておられる。

「『故郷(ふるさと)』は、不思議な歌です。人種や年齢を超えて人々の魂に届くものがあり、ともに一緒に口ずさむと、いつしか皆の魂が一つに融け合っていくのです」と、ダークダックスのメンバーの一人が言っている。

 そのメロディーのルーツをたどると、イギリス人などによって歌い継がれた讃美歌の一つで、その原詩は次のような内容だといわれます──

「私たちは一人ひとりが神様から愛されている神の子であり、一人ひとりが大切な存在なのだ。この神様の愛に私たちは何をもって応えようか。この命を与えられている私という存在を、こんなに愛してくださる神様の愛に応えることこそ、生きていくということなのだ。……」と。

「私たちは誰でも、いつかはこの世の生を終えて永遠の故郷(ふるさと)へと帰っていく目が訪れます。しかし、そこにはお金も地位も名誉も肩書も持っていくことはできません。ただ、一つ、永遠に繋がる魂だけを持って旅立っていかなくてはならないのです。

 魂を生かすものは何でしょうか。それは愛です。
『こころざしをはたして』いつか誰もが帰っていく魂の故郷。いつか訪れるその日のためにも、私たちにはいまいる現実の世界で愛を育み、愛を生き抜くことか求められているのではないでしょうか。」

 と、鈴木秀子さんは『致知』2011年7月号に書いておられました。

     ○

「故郷(ふるさと)」の歌は大正3年『尋常小学唱歌(6)』の教科書に載せられた「文部省唱歌」の一つです。文部省が東京音楽学校(東京芸大音楽学部の前身。初代校長は紀元節の歌の作曲者である伊澤修二)に編纂を依頼し、編纂委員会で合議により作詞・作曲されたもので、著作権は文部省が所有し、個々の作詞作曲者は伏されていました。編纂委員会の委員にはキリスト教徒が多かったので、文部省編纂の小学唱歌は讃美歌の影響を受けた曲が多いと言われます。編纂委員の1人で現在「ふるさと」の作曲者とされている岡野貞一氏も、明治25年に14歳のとき鳥取教会で洗礼を受けたクリスチャンでした。調べてみると、岡野氏は尋常小学唱歌を数多く作曲したという伝聞があるので「ふるさと」も岡野氏の作曲とされていますが、岡野氏自身は「ふるさと」が自分の作曲であると言ったことはなく、自筆原稿が見つかったこともないので、岡野氏個人の作曲とする根拠は弱いそうです。このメロディーのルーツがイギリス人などによって歌い継がれた讃美歌の一つであったという説は初めて知りましたが、あり得ることだと思いました。

『日本の唱歌』(講談社文庫)の前書きで、金田一春彦氏は「日本の唱歌は讃美歌がお手本になっている」と書いています。

 日本の「唱歌」の始まりは、明治5年頃、外人居住区にあって後にフェリス女学院や神戸女学院となった私塾で、生徒や信者が歌った讃美歌でした。日本に小学唱歌が制定されたのは明治14年の「小学唱歌集」の出版でしたが、この所収91曲の内12曲は讃美歌でした。

 もともと唱歌は外国では讃美歌であり、日本に導入された多くの曲ははスコットランド民謡とともに讃美歌でした。明治の日本に讃美歌を導入するということは許されることではなく、クリスチャンであった岡野貞一らの「讃美歌隠し」の苦労は計り知れないものがあったであろう。「たんたんたぬきの金時計・・・」などという替え歌になったメロディーも原曲は「Shall we gather at the river」(まもなくかなたの ながれのそばで/たのしくあいましょう またともだちと/神さまのそばの きれいなきれいなかわで/みんなであつまる日の ああなつかしや)という讃美歌、「むすんでひらいて」(原曲はフランスのルソー作曲)等もれっきとした隠し讃美歌であった。クリスチャンの岡野は讃美歌を書きたくても書けず、小学唱歌という讃美歌を書いたのであった、と言われています。

 東京音楽学校には岡野のように鳥取県出身の俊才が多く集まった。田村虎蔵(「うらしまたろう」「はなさかじじい」などの作曲者)、永井幸次(大阪音楽大学の創始者)、4年遅れて岡野貞一等・・・岡野の音楽学校の仲間は永井幸次、滝廉太郎等、皆クリスチャンであった。山田耕筰、恒子もそうである。岡野が作曲した唱歌は「ふるさと」「朧月夜」「児島高徳」「水師営の会見」「春の小川」「春が来た」「もみじ」「桃太郎」などで、これらは日本人の魂に鳴りひびく懐かしのメロディーであります。

     ○

 なぜ、このような「隠し讃美歌」のメロディーが日本人の魂に共鳴したのでしょうか。

 それは、日本人の魂には、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」が鳴りひびいていらっしゃる。「御中(みなか)」とは、時間・空間がそこから発した、万物発生の枢機を握る一点、「未発之中(みはつのちゆう)」「久遠(くおん)の今」であり、キリストの説いた「父の国」「神の国」そのものであるからだと、私は思うのです。この「万教帰一」の大真理をお説きくださった谷口雅春大聖師に、あらためて感謝を捧げる次第です。

 「この『久遠の今』というのは時間、空間を超越した、万物発生の枢機を握る一点なのであるから、尊師が『久遠の今』をお悟りになったということは尊師が『久遠の今』そのものであるということである。この一切万物発生の枢機を握る一点に立たれた時、キリストも釈迦も古事記も一つの同じ真理を説いていることが解って来たのであった。万物は『久遠の今』という中心から発したのであるから当然、真の宗教である限りに於いてすべて宗教は一つに帰るという真の相(すがた)を発見されたのであった。ここに万教帰一(ばんきようきいつ)の教えが生れる根拠がある。」
 と、榎本恵吾(えのもとけいご)元生長の家本部講師(平成17年没)は、『光のある内に』という本に書いていました。

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