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「ふるさと」に帰る(1)
<2011. 06. 13>

 前述の清川妙先生は、『致知』という雑誌の7月号でも取材され「生涯現役」というタイトルのところに掲載されています。5月18日の講演会で先生はそのこともお話しされたので、私は『致知』の購読も始めました。とても実のある雑誌です。

 その中で、鈴木秀子さんという「国際文学療法学会会長」なる方が、「人生を照らす言葉」(連載第32回)として「ふるさと」の歌にまつわる感動的な話を書いておられます。

 1995年の阪神淡路大震災の時のこと。1月17日午前5時46分52秒、まだ就寝中の人が多かった。死者の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになっての即死だった。特に1階で就寝中に圧死した人が多かったと言われます。その時の話(要約)──

     ○

「地鳴りの中で静かに響いてきた歌声」

地震発生時、Kさんもまだ布団の中にいた。突然の激震。あっと思う間もなく家は大きく崩れ、同じ部屋に寝ていた奥さんとの間にドーンと何かが崩れ落ちてきて夫婦は身動きが取れなくなった。

 Kさんは大きな声で隣にいる奥さんに声を掛けたが、返事はなかった。別の部屋で寝ていた幼い二人の子供たちの名前も呼んだが、やはり何の反応もなかった。

 Kさんは声を枯らして叫び続けたが、やがて力尽きて声を出そうという気力すら失せていった。

 どのくらい時間がたったか、諦めかけたKさんの耳に入ってきたのは、余震の地鳴りの音にかき消されてはっきりは聞き取れないものの、それは奥さんの声で、「故郷(ふるさと)」の歌であることが分かってきた。

  兎追いしかの山/小ぶな釣りしかの川/夢は今もめぐりて/忘れがたき故郷(ふるさと)

  如何にいます父母/恙(つつが)なしや友がき/雨に風につけても/思いいずる故郷

  こころざしをはたして/いつの日にか帰らん/山はあおき故郷/水は清き故郷

 歌声は何度も繰り返され、「如何にいます父母」という言葉に差し掛かった時、Kさんは亡くなったそれぞれの両親が突然目の前に現れたかのように感じた。
「ああ、両親が助けに来てくれたんだ。瓦礫から守ってくれただけでなく、いつも見守ってくれていて、この世を生きていく上での重石やしがらみを取り去ってくれているんだ」そう思うと、涙がポロポロと流れた。

 奥さんの歌はやがて三番の歌詞に移り、「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」で、Kさんは、自分が人生の旅路を終えてどこに帰るのかと考えた時、「それは父母のいるところだ。“こころざし”というのは立身出世のことではない。この世にいて自分の生を輝かせることだ、愛を持って生きることだ」と思った。

 Kさんは瓦礫の中にあって、確信した。人間は誰しも大宇宙に生かされた存在であり、自分も奥さんも亡くなった両親も、ともに深いところで命という絆で結ばれていること、生きているうちに身につけた地位や財産ははかなく消え去り、この世の生を全うした後は魂の故郷に帰っていくということ……。

 Kさんは奥さんの歌声に引き込まれるかのように自分も一緒に歌い始めた。最初は小声で歌っていたものの、奥さんがKさんの歌声に気づいて一緒に調子を合わせ始めたことに気づくと、力いっぱいに歌うようになった。二人の合唱は瓦礫の壁を突き破るかのように響き、間もなく二人は救助される……。
        (『致知』2011年7月号より、要約)

     ○

 私は、上記「故郷(ふるさと)」の歌にまつわる記事を読んで、また浮かんできたのは、『新版 真理』第9巻(谷口雅春著)318~319頁の一節です。

     *

   神の国への郷愁

 あなたは神の子であり、あなたの本当の故郷は“神の国”であります。あなたが本当の郷里に帰るまでは郷愁は去らないでありましょう。郷愁は色々の形であらわれます。理由のない寂しさや、憂鬱や、それから起って来る色々の問題や、経済的な行き詰りや、肉体的な病気なども、いわば、自分の郷里である「神の国」に自分が住んでいない郷愁のあらわれであります。神の国には私たちに必要なあらゆる富、あらゆる幸福が常に備わっているのであります。あなたが神の国を今ここに見出されますならば、あなたは一呼吸、一挙手、一投足にも神の力と生命がそこに、あなたに於いて呼吸し、行動していることがわかるのです。あなたの思いが、計画が、神御自身の思いであり、計画であることになるのです。神御自身の思いや計画が成就しないということはないのです。

     *

 この「神の国」が、私たちの魂のふるさと。それは、時空を超えた「久遠の今」。死んでから帰るところではなく、生死を超えて、今もつねに私たちはこの「神の国」なるふるさとにいて、神に守られ、神のいのちのさきはえ(先延え)を受けているのでした。

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