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生きていることはすばらしい(1)
<2011. 06. 11>

 前回、4月30日に、清川妙先生(私の母校山口高校の恩師)の新著『兼好さんの遺言』を読んで私が特に感じたところを書いてみたい、と記しましたが、それが書けないまま、あっという間に1ヵ月以上──6週間経ってしまいました。

 その間、いろいろなことがありました。うれしいこともあったし、けっこう心的エネルギーを使うようなこともありました。

 5月14日は、私たち夫婦の結婚満50年、金婚の記念日でした。
 半世紀50年連れそって、4人の子供と私を生み育ててくれた妻に、あらためて感謝しました。「私を生み育ててくれた」のは妻ではなくお母さんだろう、と言われそうですが、子供たちの父親、孫たちの祖父となり、1人の時とはちがって大きく広がった今の私を生み出し、育ててくれたのは妻だった、と思われるのです。

 金婚記念日から4日目の5月18日には、前述・清川妙先生の卒寿(90歳)のお祝いを兼ねてご著書『兼好さんの遺言』出版記念の講演会が飯田橋のあるホテルで開かれ、私も参加しました。(雑誌『いきいき』主宰)

「楽しみながら、少しずつ、好きなことを、丁寧に、貫き続ける」
「思い立ったら、時を移さず、行動を起こす」

というのがお話のテーマなのでした。清川先生は

 「この前の震災で、岩手の釜石で亡くなられた104歳の現役スポーツマン、“走れて、跳べて、投げられて”という方の在りし日の姿がテレビに映され、『心が体で、体が心なんじゃ。自分でこうしよう、と思えば、体も自然についてくる』とおっしゃるのを聞いて、あら私九十、まだ若いわ、と思ったのね」(笑)。

 ──と、お元気で約1時間の講演をなさり、約150名の参会者、ファンの人たちを魅了されました。

     ○

 『兼好さんの遺言』「14 生きていることはすばらしい」の章より。
 兼好法師は『徒然草』(第137段の書き出し)で、

  「花はさかりに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情けふかし。」

 と言っています。清川先生の解釈──

 「桜の花はまさに満開のときだけを、月は照りかがやく満月だけを見るものだろうか。いや、そうではないのだ。満月が見られるはずだったその夜、あいにくの雨となり、雨を見ながら、月を恋しく思うこともあるだろう。また、何かのわけあって家に閉じこもり、桜の花の咲いて、散るのも見ることがかなわず、いつか春の過ぎゆくのも知らないでいた、ということもあるだろう。しかしやはり、それはそれで、しみじみと身に沁みる情緒があるものだ──。」

 『徒然草』にはまた、

「刹那(せつな)覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、たちまちに至る」(人は、刹那というこの短い時間を意識しない。だが、これを休みなく運びつづけていけば、人間のいのちの最後もたちまちに来るのである──第108段)

 指をひと弾きする間に六十五の「刹那」があるといわれる。その目にも留まらぬ瞬間を積み重ねて、それが人の一生になるのだ。だから

 「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」(第93段)──この短い一節に「愛する、喜ぶ、楽しむ」というプラスのイメージの言葉を三つも入れている。死ぬことがいやなら、今生きている、生かされていることを大切にして、丁寧に、楽しんで生きよう。

 「今日まで逃れ来にけるは、ありがたき不思議なり。」──今日という日まで(死から)逃げのびて生きてこられたのは、世にも稀な不思議なこと。そう深く思い知ったら、しばしの間でも、この世をのんびりうかうかと過ごしていっていいものだろうか──。

 「“ありがたき”とは、あることを願っても、なかなか困難で、めったにはないことをいう言葉。非常に稀なことを喜ぶ心である。なんと濃い輪郭を持つ明るい言葉であろう。繰り返し、くちずさんでみれば、生きる喜びが、胸のうちに湧きあがってくる」

 と、清川先生は書かれています。

 「済んだことの中に生活せず、『今』のなかに生活せよ。『今』は常に生きている。『今』の中にはあらゆるものが輝いている。『今』は常に新しく、『今』は常に喜びに満ちている。過去にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。『今』天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。過去に寒風に吹き曝(さら)されたことを嘆かないで、『今』梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも強く尊く逞(たくま)しきが人間である。喜ぶべきことしか無いのが人生である。」

 というのが生長の家の「智慧の言葉」として『新編聖光録』に収められていますが、古の賢者も同じことを言っているのですね。

 清川先生は私の「母校の恩師」──といっても、高校時代に直接授業を受けたことはなかったのですが、90歳になられてもみずみずしい感性、心と体をお持ちで、なんだか母のような、姉のような、家族のような感じがしてしまいます。そして、女性のすばらしさ、男性とはちがった繊細微妙なすばらしい感性について、教えていただき、心豊かにとても勉強になりました。

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コメント

金婚式 おめでとうございます。
お似合いのご夫婦で50年間過ごされたのですね。これからも末永く御幸せでありますようにheart

私 4月25日に1人で滝桜を観に行ってきました。ついでに郡山の教化部をみてきました。壁にひびが入り立ち入り禁止になっていました。教化部の斜め前に私が始めて就職した所の院長先生のお宅がありとても懐かしくながめてきました。

投稿: こばやし | 2011年6月26日 (日) 19時48分

ありがとうございます。
小林さんご一家もますますお幸せに。
(亀レスですみません。)

投稿: 岡 正章 | 2011年6月28日 (火) 10時10分

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